
【ゲーム開発】ゲーム業界の衰退の原因は何か?
2010年代以前に生まれた人々は、其れ其れが考えるゲームの黄金時代を持っています。
1960年代生まれの人に取ってはゲームセンターの時代、1970年代から1980年代初頭生まれの人に取ってはファミコンやセガ・マークIIIの時代、1980年代中盤から後半生まれの人に取ってはスーパーファミコン、セガ・メガドライブ、NEC PCエンジンの時代、1990年代初頭生まれの人に取ってはニンテンドー64やプレイステーション1、1990年代後半生まれの人に取ってはゲームキューブ、Xbox、プレイステーション2、2000年代生まれの人に取ってはWii、プレイステーション3、Xbox 360が黄金時代とされます。
あたしは1990年代初頭生まれなので、あたしに取っての黄金時代はニンテンドー64とゲームボーイカラーでした。
然し、ゲームキューブ、ゲームボーイアドバンス、ニンテンドーDS、ニンテンドー3DS、スーパーファミコンも大好きです。
今でもこれらのシステムのゲームをプレイして、良いゲームとして知っていた物を再体験しています。
又、プレイステーション3、プレイステーション4、PS Vitaも持っていますが、其れ其れ特定の1つのゲームの為に購入しました。
具体的には、PS3では『メタルギア ライジング リベンジェンス』、PS4では『ニーア オートマタ』、PS Vitaでは『グラビティデイズ』です。
WiiとWii Uも持っていますが、埃を被っています。
然し、2010年代以降、何かが変わりました。
若い世代はゲームをそれ程好きではなくなり、ゲームコミュニティは最早ゲーマー向けのオタク的な空間ではなくなり、本物のゲーマー冴え新しいゲームを覚えられません。
若い本物のゲーマーも、古いゲームを好む傾向があります。
では、何が起こったのでしょうか?
ゲーマーゲート論争
全てはゲーマーゲート論争から始まりました。
マスゴミはこれが「集団嫌がらせ事件」だと信じさせ様としていますが、実際にはゲーム業界の敵対的買収でした。
2014年頃、ゲーマーゲートが起こり、ゲームジャーナリストたちはゲーマーはもう必要ではないと宣言し、女性ゲーム開発者が業界に参入し様とする中、ゲーマーを中傷し続けました。
ゲーマーは開発者の性別を気にしません。
彼らが気にするのは、その開発者が良いゲームを作るかどうかだけです。
然し、結局、ゲームジャーナリストたちがこの戦いに勝利し、完全に嘘の情報を広めました。
ウィキペディアの関連ページも嘘だらけです。
但し、中国語版の記事は未だある程度真実を伝えています。
その為、自動翻訳を使ってそのバージョンを情報源としています。
ゾーイ・クインとブリアナ・ウーは、ゲーム業界をこんなにも悪くした2人の責任者です。
彼らのせいで、ゲームは最早楽しさではなく、政治に関する物になりました。
彼らのせいで、ゲームはゲーマーによるゲーマーの為の物ではなく、活動家による「みんな」の為の物になりました(ここでの「みんな」は「ゲーマーを除くみんな」を意味します)。
但し、これはもっと早くから始まっていたと思います。
Xbox One
Xbox Oneの発表は大失敗でした。
ソニーがその事をマーケティングキャンペーンでからかう程でした。
2013年のXbox One発表イベントは、テレビ視聴、スポーツ、そして最後に『コール オブ デューティ』に焦点を当てた物でした。
これは、ゲームが最早ゲーマーの為の物ではなく、所謂「みんな」の為の物であるという明確なシグナルを送りました。
ゲーマーが恐れていた事が確認されたのです。
さらにゲーマーを苛立たせたのは、Xbox OneがDRMのために常時オンラインを強制した事です。
XboxのCEOが、インターネットがない場合どうすれば良いかと聞かれた際、「Xbox 360を買えば良い」と答えたのです。
これは、米国の任天堂のCEOが、Switch 2のゲームが高過ぎると指摘するゲーマーに対して「Switchを買えば良い」と答えた事にも似ています。
この広報の失敗により、Xbox Oneは失敗に終わり、Switch 2でも同じ事が繰り返される可能性があります。
或いは、何故か許されたり、Switch 2を買わないゲーマーを訴えたりするかもしん。
誰にも分かりません。
但し、これがゲーム業界の死の始まりではなかったと思います。
もっと早くから始まっていたと考えています。
ニンテンドーWii
ニンテンドーWiiによって、任天堂は明らかにターゲット層をゲーマーから所謂「みんな」に変更しました。
当時未だ「プロジェクト・レボリューション」として知られていた頃、彼らはWiiリモコンで遊ぶ保母全ての非ゲーマーを描いたトレーラーを公開しました。
最後の1人が本物のゲーマーだったかもしんが、それを確認する方法はありません。
これは任天堂の歴代ゲーム機で初めて前世代を上回る売上を記録しましたが、同時に面白いゲームが殆ど出なかった初めてのゲーム機でもありました。一般の人々は『Wiiスポーツ』の為だけにゲーム機を買い、ゲーマーは『マリオカートWii』、『大乱闘スマッシュブラザーズX』、そして恐らく『スーパーマリオギャラクシー』の為だけに購入しました。
何故なら、これらのゲーム以外は本物のゲームの様に感じられなかったからです。
そして、これらのゲームで冴え、記憶に残る物はありませんでした。
それでも、任天堂は非ゲーマー向けのゲームを出し続け、プレイステーション3とXbox 360がゲーマー向けのゲーム機になりました。
然し、ソニーとマイクロソフトが同時にモーションコントロールの流行に乗ろうとして独自のバージョンを出した時、ゲーマーに取ってはそれが終わりでした。
多くの人がこれが2014年に始まったと言いますが、あたしは実際には2006年に始まったと考えています。
過剰な予算
AAAゲームは予算が膨張しています。
それは彼らが多くの利益を上げているからではなく、活動家投資家から多額の資金を受け取っているからです。
投資家はAAAスタジオに対して全ての権力を持っています。
問題は、ゲーマーが彼らにどうすれば良いかを伝える事が出来なくなった事です。
良い点は、投資家が撤退すればスタジオは崩壊するという事です。
そして、スタジオが投資家の指示通りにしても、最終的には投資家は撤退します。
それは法律の変更や、十分な利益を上げられなかった事による物です。
活動家投資家への依存の結果、彼らには創造的な自由がなくなり、実験や革新をする事が出来ず、望むと望まざるとに関わらずトレンドに従わなければなりません。
AAスタジオやインディーズは投資家に縛られていない可能性が高いです。
詰り、これらのスタジオは自由にやりたい事を出来、実験や革新が可能で、何にも縛られていません。
例えば、あたし達の場合、時間冴えも制約ではありません。
何故なら、現在076は1人の開発者だけで構成されており、未だコストがかかっていないからです。
あたし達が持つ全ての予算は、毎月あたしが金庫に入れる物で、時間とともに増えていきます。
その為、コスト(アーティストや作曲家の雇用、年齢レーティング、マーケティング、ゲーム配布等)が発生する頃には、十分なリソースが揃っているでしょう。
極端な保護主義
ソフトウェア産業全般で極端な保護主義が進行していますが、ゲーム業界程それが顕著なところはありません。
最も悪質なのは任天堂で、良いゲームを作ったファンに対して訴訟を起こしています。
『プロジェクト「M」』の様な例が思い浮かびますが、最近では『パルワールド』もあります。
任天堂は『パルワールド』がリリースされた後に、ポケットペアを訴える為だけに特許を申請しました。
健全な世界では、これは著作権トロールとみなされます。
然し、あたし達はピエロの世界にいるので、裁判所は任天堂が正しいと判断し、ポケットペアは特定のメカニクスを検閲せざるを得ませんでした。
特許は決してアイデアを保護する為の物ではなく、常に小さな独立系開発者が成功出来ない様にする為の物です。
もう一つの極端な保護主義の問題は、全てのプラットフォームホルダー(任天堂、ソニー、マイクロソフト、バルブ)が、物理的なゲームからデジタルオプション付きのゲーム、そしてデジタルのみの現実にゲーマーを押しやっている事です。
これは問題です。
何故なら、1つの企業が貴方がプレイ出来る物と出来ない物を決められ、アカウントをBANする事で、既に支払った全てのゲームを失う可能性があるからです。
そして、デジタルストアが閉鎖されると、誰も貴方がプレイしたゲームを体験出来なくなります。
あたしの例えでは、ゲームを所有出来ないと、海賊行為は違法でもないという事です。
あたしは以前、3DSとWii Uのeショップでゲームを公開していましたが、今ではあたしのプレイヤーベースの完全に海賊です。
それに対して何をしたか?
何もしていません!
3DSとWii Uのeショップは既に閉鎖されているので、合法的に入手しようが違法に入手しようが、どうでも収益が変わりません。
海賊を追いかけても、悪い評判を得る以外に何も達成出来ません。
あたしがデジタルのみでリリースした理由は、予算がなかったからです。
各地域の年齢レーティングを取得する事は物理リリースに取って非常に高価で、カートリッジやディスクを配布する手段がありませんでした。
これは今でも変わりませんが、あたしは依然としてデジタルオプション付きの物理リリースを目指しています。
何故なら、未来の人々があたし達の作品を体験出来ない様にしたくないからです。
新しいゲームは収益化に焦点を当て過ぎている
過剰な予算の結果、略奪的な収益化スキーム、ゲーム内の広告、マイクロトランザクション、有料DLC、ルートボックスが発生しています。
彼らの予算があまりにも膨張している為、利息をつけてその全てを返済しなければなりません。
彼らは一般の人がゲームを買いたくない事、ゲーマーが悪いゲームを買いたくない事を知っているので、無料でダウンロード・インストール出来る代わりに略奪的な収益化を導入しています。
これが良いAAやインディーズゲームで見られない理由でもあります。
AAやインディーズゲームでそれが見られる場合、それはゲームが悪く、開発者がそれを知っているサインです。
新しいゲームは未完成でリリースされる
2005年以前は、ゲームはリリース前に完成していなければなりませんでした。
当時はゲームをパッチすることができなかったため、妥協は許されませんでした。
今日では、物理リリースでもそれが可能になっています。
その結果、ゲームは半分壊れた状態でリリースされ、2年間かけて徐々に修正されています。
これは受け入れられない行為です。
ハリウッドが新しい映画をリリースしたが、ストーリーラインが未完成で、2年間かけて徐々にストーリーを更新する為に映画館に戻る事を強制する様な物だと想像して下さい。
更に悪い事に、レビュー用コピーは完全に無検閲で提供され、プレスがより高い評価を与えられるのが一般的になっています。
その後、ゲームが一般公開されると、直ぐに1日目のパッチが適用され、ゲーマーが期待していたコンテンツが検閲されます。
パッチは、QAチームが見つけられなかったゲームを壊すバグを修正する等、良い目的に使用される事があります。
然し、代わりにこの機能が間違った理由で使用されています。
これはAAAスタジオに限った事ではなく、業界全体の問題です。
インディーズやAAスタジオも、全く同じ理由でゲームをパッチする能力を使用しています。
あたしはこの慣行が他の種類のソフトウェア開発では一般的である事を理解しています。
あたしもFOSSを作っていた時はいつもそうしていました。
然し、オープンソースとは異なり、ゲーム開発環境には専用のQAテスターがおり、承認プロセスがあり、パブリッシング契約があります。
従って、未完成のゲームが許容される理由はありません!
新しいゲームはどれも同じに見える
ゲーム業界は歴史的に、他の開発者と異なる事をする事でスタジオに報いてきました。
それなのに、誰もが他の人と同じ事をしたがるのです。
これはゲームのコンセプトだけでなく、グラフィックスにも当てはまります。
プレイステーション5、PC、XboxシリーズX及びS、そしてある程度ニンテンドーSwitchのゲームを見て下さい。
全てのゲームが全く同じに見えます。
これは、業界の殆どの企業がUnreal Engine又はUnityに切り替え、デフォルトのシェーダー、デフォルトのレンダラー、デフォルトの物理エンジンを使用している為です。
ある機能が使用しているエンジンに提供されていない場合、それは実装されません。
その為、Steamでゲームを起動する度に、エンジンのロゴやストアの説明を見る前に、「これはUnityで作られた」、「それはUnrealで作られた」と即座に分かります。
同じ超リアルなグラフィックスを使用するゲームが多過ぎて、どのゲームの違いも分からなくなりました。
その超リアルなグラフィックスを何度も見てきた今、あたしはそれらを醜いと感じています。
Steamのゲームを暫くプレイした後、ニンテンドー64のゲームを再びプレイし、そのグラフィックスが美しいと感じる様になりました。
これは、テクスチャが非常にぼやけていて、モデルが非常に低ポリゴンであっても、全てがカラフルで、各ゲームが独自のユニークなスタイルを持ち、制約の為にアーティストやデザイナーが非常に創造的でなければならなかった為です。
スファミのゲームもプレイし、2Dピクセルアートの美しさに驚きました。
ゲームキューブのゲームをプレイしても、グラフィックの美しさに驚かされました。
ニンテンドー3DSでも、美しいグラフィックスが見られます。
少なくとも、あたしの今後のゲームでは、リアルさが焦点ではない事が分かりました。
そう言えば、数日前、昔のニンテンドー3DS開発機を調べていた所、11年前に作ったプロトタイプを発見し、完全に忘れていました。
それは1つのレベルしかないテクデモで、動作するコントロール、物理、その他全てが揃っていますが、完全なゲームではありません。
これは、2014年にUnityを使ったゲームをリリースした後、NintendoWareを試す為に作られた物でした。
残念ながら、このソースコードはもう持っていませんが、コンパイルされたROMは持っています。
以下はそのスクリーンショットです:
新しいゲームは退屈
昔のゲームでは、ゲームをクリアするにはスキルが必要で、ゲームの一部をアンロックする必要があり、失敗した時の罰は本当に厳しかったです。
新しいゲームでは、シングルプレイヤーモードではスキルは無関係で、全てが最初から簡単にアクセス出来るか、ペイウォールの背後にロックされており、失敗が不可能か、失敗しても殆ど罰がありません。
新しいゲームでスキルがまだ重要なのはオンラインマルチプレイヤーだけですが、問題は、ゲームのリリース日からプレイヤーでないと、トップに立つ事は決して出来ない事です。
新しいゲームは貴方を馬鹿だと思っている
新しいゲームには過剰な手助けが多すぎます。
初心者には良いかもしんが、ゲームに真剣な人は本当にそれが嫌いです。
ニンテンドー64の時代では、ゲーマーは世界に放り込まれ、メインの目的が最初に説明されるかもしんが、後はゲーマーが自由に探索し、何をすべきかを自分で考える物でした。
例えば、『スーパーマリオ64』では、ピーチが誘拐されたというメッセージが表示され、彼女を救う為に全てのスターを集める必要があると言われます。
その後、城に入り、何をすべきか分からないまま、絵画に飛び込むと新しいレベルが現れます。
「山に誰かいる」という説明以外に殆ど説明がなく、世界の探索とスターの場所を見つける責任は貴方にあります。
これにより、開発者が予想していなかった様な非常に創造的な方法で山の頂上に到達する事が出来ます。
今では、ミニマップ、明確に描かれた道、何処に行くべきかを示すコンパス、次のチェックポイントまでの距離を示すメーター、次に何を全てかの詳細な説明等があります。
又、収集物や破壊可能な物には黄色のペイントや白い輝き、「隠された」エリアには明らかなマーキング、開発者が意図した方向以外には進めない指示があります。
これはゲーマーに対する大きな侮辱です。
何故なら、開発者が貴方がゲームをプレイするのに十分賢くないと思っている事を示しているからです。
「クラシックモード」と「白痴モード」の選択肢があれば良かったのですが、代わりに全員に「白痴モード」を強制しました。
ポリコレとDIE
最大の問題はポリコレとDEI(多様性、公平性、包括性)です。
多くの人が「包括性」や「誰もが楽しめる様にしたい」と言い訳にします。
現実には、それは決してその様な物ではありませんでした。
エンターテインメントを通じて政治的アジェンダを押し付ける事なのです。
エンターテインメントは現実逃避の一形態です。
ゲーマーは現実の生活で直面する問題や困難から逃れる為にゲームをプレイします。
誰もその同じ問題や困難をゲームで経験したくありません!
2番目に大きな問題は、特に西洋のゲーム(+カプコン)で、何故か女性ゲームキャラクターを出来るだけ醜くし様としている事です。
一部の人は、ゲーム業界が女性キャラクターを醜くする事で、より多くの女性ゲーマーがゲームを買うと考えていると推測しています。
若し本当にそう考えているなら、その開発者は本物のゲーマーではありません。
女性ゲーマーも男性ゲーマーと同じ様に、魅力的に見えるキャラクターを望みます。
考えてみて下さい。
若し貴方が男性で、カメラがプレイヤーを追う為に常にキャラクターのお尻を見なければならない場合、可愛い物を見たいと思うでしょう。
女性も同じで、ハンサムな物を見たいと思うでしょう。
西洋では恐らくその逆で、男性は男性キャラクターを選び、女性は女性キャラクターを選びますが、同じ論理が適用されます。
救世主:AAとインディーズ
他の殆どのソフトウェア開発分野とは異なり、ゲーム業界の崩壊は避けられません。
然し、他のソフトウェア開発分野とも異なり、希望があります。
そしてその希望は、AAとインディーズ開発者を通じて存在します。
インディーズ、AA、AAAの公式な違いは、スタジオが持つ予算の額です。
然し、それらを他の方法で定義するパターンもあります。
AAAは今日知られている物です。
AAは1990年代と2000年代のAAAを彷彿とさせます。
インディーズは1980年代と1990年代を彷彿とさせます。
AAAは非常に安全にプレイし、貴方に何も所有させたくなく、より良いグラフィックスを持っています。
インディーズは非常に実験的で、全てを所有させたいと考え、グラフィックスは劣っています。
AAは両者の中間であり、依然として実験的ですが規模が大きく、全てを所有させたいと考え、グラフィックスも優れています。
ゲームの未来はAAAではなく、インディーズとAAです。
高度に実験的なコンセプトにはインディーズを、洗練された完成プロジェクトにはAAを、自己嫌悪にはAAAを選びます。
以上